「ドライブマイカー」をみた。セックスシーンと作家と読者について。
ドライブマイカーは内容がドロドロそうで、今まで見る気がならなかった。そもそも村上春樹さんの小説は読んだことがないし。
でも、先週ドライブマイカーをどんなのかみてみた。それについて思ったことを記事にしてみた。わたしは小説より、
村上さんの「習慣化」に関してだけは、まえから凄い興味があった。
たとえば、日課としてるマラソンや水泳が、ドロドロ作品をつくることの「支え」になってるとか。小説と対比してとても現実的な生き方にみえる。
あと、淡々としたごく普通の夫婦生活にも興味もある。
はなしが戻るけど、
小説にセックスシーンや不倫があると、なんか真面目でお堅い自分には向かないなーとか、キャーなんでそんなの書くのーなんて思ってしまったりするところがある。
そんなわたしが、先週、ドライブマイカーをみたんだね。
あのセックスシーン。
音が旦那とセックスするんだけど、セックスする度に音の自作物語が、音の口から出てくる。これって、麻薬の高陽感からくる創造作品みたいなものね。一方、最悪なことに、音が他の男と寝てるのを知ってる旦那は、怒らないで見て見ぬ振り。この夫婦、「愛してる」って言葉で伝えたり、セックスして物理的に繋がってるけど、理解し合ってないのね。
この物語、セックス以外のテーマも沢山入ってる。
ここでの記事では書かないけど。今日の記事で書きたいことは物語のテーマとは違うことなんでね。
この映画、見終わって時間がたつほど、夫婦のあり方やら、依存や自立とやら、いろいろ考えさせられる。また、教養させられてる気分になってしまう映画だなあーと思った。
こういうドロドロな作品から読者がなんらか「学び」をえるときがあるね。それは、作家のプライベートがより健康的、現実的だと、より「学びが引き立つ」とわたしは思ってしまう。
すいません、真面目なもんで。
私生活が滅茶苦茶な作家が、どんなに美しい物語をかいても強い説得力を感じない。わたしはね。
かえって、官能エロ小説を書いたほうが説得力あるしバッチシ決まると思う。
また、「この人、いつも不倫してるのに美しい作品つくってる~」なんてアレコレ余計なこと考えて作品に集中できない!わたしだったら。(笑)
例えば、 太宰治とかも、走れメロスの歌をきくと、「あ~玉川上水で愛人と自殺した人よね~」なんてよく話題になるし。
すいません、太宰さん、生意気なこと言ってしまって。
賞の価値については全然知らないし解らない。
逆に、作家の背景を見ないで楽しむ方法もあるね。
わたしは、作家の背景を知ったほうが何倍も楽しめるタイプだけど。
昔、画廊で様々な画家の作品をみてたときがあった。画廊にいる作家と話したことで、あとから作品に興味もつようになったのだ。作品は作家の人柄と生き様とセットになってるんだなと、そのときも同じように思った。
いままで小説読まないできた、かつブログ初心者があーだこーだ言いたいこと言わせてもらいました。^^
しかし、こういう評論みたいな記事を書くのは度胸がいる。
まあ、いいや、読者少ないし(笑) ではでは。